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他人が自分のことを解ってくれないと思った時の対処法 [うつ克服日記]

人と人の関係って難しいです。
自分のことをわかって欲しいというのはすべての人が持っている
素直な欲求だと思います。だから、その気持ちがぶつかると
人間関係が崩れていきます。自ら壊してしまう場合もあります。
そっちの方がラクですからね。
  
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人が自分のことをわかってくれない、と思いこんでしまう。
これはもう当然のことです。

他人が自分のことを知らない、というのは
コミュニケーションの大前提として接した方がいいと思います。
他人をいったん許すのですね。

コミュニケーションの仕組み

この考え方を深く理解するために、コミュニケーションの仕組みというものを
考えてみます。

まず、自分がいる。自分というのはいろんな価値観を持ってますよね。
例えば「いい匂い」と聞いて思い出す匂いは人によって違います。

それまでの生活環境、テレビや本で得た知識などをもとに価値観が生まれるわけです。
みんなそれぞれの価値観を持っています。

そしてそれらの価値観は情報が入力されるときにフィルターや変換器の役目をします。

フィルターというのは、興味のある情報は積極的に取り入れ、
興味のない情報は取り入れない、といったことです。

また、自分の価値観にあった情報の取り入れ方をします。
例えば、相手に対する前提を付け加えたり(歪曲)、
憶測が働いたり、勝手に因果関係を刻み込んでみたり。

そして変換器というのは、情報ひとつとってもそれらは感情なり身体感覚なり
あるいはただの文字情報として記憶に定着するわけです。

ここですでに情報の取り入れ方がすでに他人と違うわけです。
あたりまえですね。

さらにこの価値観は出力するときにもある種のフィルターの役割をします。
例えば、眼の開き具合、手ぶりや動き、話す速さ。などです。

とうぜん、見たままの情報を100%出力することは出来ません。
100%の精度で情報を取り入れることも不可能です。

そうするとどうでしょう。
コミュニケーションにおいては他人と情報をやりとりするわけですが、
自分の体験を価値観というフィルターを通して出力し、
相手相手には相手の価値観というフィルターを通して伝わる。

そしてお互いに新たな価値観というフィルターを自ら分厚くしてく。

こうなるともう、自分の思っていることが正しく相手に伝えること
なんて不可能だということがわかります。

コミュニケーションに悩まないために


こうなると、コミュニケーションは正しくできないというのがもう前提だということが
わかるかと思います。

そう考えますと、少しは他人のことが許せるのではないのでしょうか。
「相手を許容する」ということが、コミュニケーションの第一歩であり、
悩まないコツなのかなと感じています。

私の場合は軽い瞑想(といっても目をつぶってイヤーマフで聴覚を遮断して寝るぐらい)
をすると、ありのまま相手や自分を見ることができ(そんな気がするだけ)、
ちょっとだけですが心がラクになるんです。

一週間に一度だけでもいいですし、気が向いたときにでも
自分を思考の無限連鎖から抜け出させてあげるためにも
瞑想をしてみてはいかがでしょうか。

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